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ソヴェト・ロシアには、「労働者クラブ」と云うものがある。これは労働者自身の家で、自分たちの労働が終った後に誰でもが行って楽しめる「クラブ」なのである。

四月十三日夕方七時頃から岩本さんと三人で、MusicServiceに行く。

それはどちらが事實だか判らないとしても、兎も角著しい事變の後にはいろ/\な歴史上の疑問が生じて、後に判斷に苦しむ樣な事が出來てくる。然しこれは多くは事變の鎭まつた時に、いろ/\陰謀等の跡を蔽はんが爲めに、勝利を占めた一方の材料だけを採つて記録とするから起る所の結果であつて、若し他の一方即ち敗者の材料を早く集めておくならば、曖昧な疑問が生ずるといふことが比較的少くなる。今日の如く歴史が一つの學問として考へられ、其の眞相を現すことが一つの神聖な仕事として考へられる時代にあつては、殊にこの用意が必要であつて、一時の順逆などゝいふ考へは、神聖な史實の前には極めて微力なものであると考へなければならぬ。

とにかく、まあ、なんといふ込み入つた、いろんなことを考へさせる作品だらう。考へ出せば切りがありあしない。それも小林が書いたことそのものより、その書いたことからあいつが何を書かうとしたかを引き出して行けば行くほど面白くなるのぢやないかしら。さうなると作品の出來不出來なんぞは問題ぢやなくなつてくる。こつちですこし本氣になつてそれに向つていると、作者自身が大へんなものにぶつかつてしどろもどろになつている樣子がはつきり浮んでくるが、しかしそれは作者の方ばかりぢやなしに、こつちまでひどくしどろもどろにさせずには措かないような、底の知れない、氣味の惡い作品だ。

「はあ。でも、歌はおきらいなのでしょう?」

リッケルトのこの科学論に対して人々は様々な関心と視角とからして、様々の疑問を提出することが出来るし、又事実それを試みているものは少なくない。私は今吾々にとって必要な限りの批評を簡単に与えることで満足すべきである。そして吾々にとって比較的便宜あるのはフリッシュアイゼン・ケーラーが加えている夫である*。私は第一に、略々之を手懸りとすることによって吾々の関心している問題――方法概念の運動――を動かして行くことが出来るであろう。

興行師の出て行つた跡で、二人は腰を掛けた。

われわれはもうこの歴史の繰返しを終らねばならぬ。数千年数万年間のピルグリメエジは、すでにわれわれにこの繰返しの愚を教えた。われわれはこの繰返しを終るために、最後の絶大なる繰返しを行わねばならぬ。個人としての生の真の拡充のために、人類として生の真の拡充のために。

「おい、第二放送に変えようか」

久しく主人と奴隷との社会にあった人類は、主人のない、奴隷のない社会を想像することができなかった。人の上の人の権威を排除して、われ自らわれを主宰することが、生の拡充の至上の手段であることに想い到らなかった。

「ごきげんよう、どうもいろいろと……」

学問の――思考のではない――形式を取り扱う学問は形式論理学でもなく又応用論理学でもない。それであるのになお一つの論理学と考えられる理由があるであろう。その理由はこうである。カントの根本思想を借りるならば(この思想が何故今の場合必然性を有つかは後を見よ)、吾々の精神内容は形式と内容との結合として説明される。そして形式は内容の不可欠の条件、その意味に於て論理的予想と考えられる。そうすればこの形式は凡てこの意味に於て論理的でなければならない。そうすれば又学問の形式も論理的でなければならない。そうすれば最後に、この形式を取り扱う学問は今の意味に於て論理学の名に価するわけである。故にもし学問の形式という概念を取り出すならば、それの省察は又一つの――但し形式論理学でも応用論理学でもない処の――論理学であることとなる。思考の論理学――その系列にぞくするものが形式乃至応用論理学であった――に対立する論理学は一般に、客観論理学か先験論理学である。今の場合は先験論理学の名を取ろう。学問形式の理論は先験論理学にぞくする(先験論理学はカントの立場に外ならない)。――処が、学問の形式は、再びカントの立場に立って、学問の方法と考えられる。何となれば形式はカントによれば内容を統制して認識を齎す機能に他ならないが、認識を齎す機能こそ方法ではないのか。学問の形式は学問の方法である。故にカントの立場に於て吾々は次の帰結を得る。方法論――Methodologie-Methodenlehre――は先験論理学にぞくす、と。之が吾々の求めた「或る意味に於ける論理学」であった。故に又科学論は一つの論理学――先験論理学――と見做される理由が明らかとなった*。

B――それならお前は、今迄為しかけてきたことを、これからなし得べきことを、すっかり為し遂げないで、このまま中途で斃れるのを悲しいとは思わないのか。

浦しかし、やはり、いろいろ、遺族の方のご相談に乗らなけれやならんこともありますし、第一、お葬式の問題が、これや、なかなかたいへんです。
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